江戸勇馬について
幼い頃、同年代の子たちより身体も小さく喘息もちだった僕は、お世辞にもスポーツに向いているとはいえませんでした。ですが負けん気に関しては昔から強い子供でした。
初めて試合に出場したのは小学1年生の頃。緊張していたのか、もしくは昂ぶっていたのか思い出せませんが、隣のレーンで泳ぐ他の選手に
「何秒で泳ぐん?俺めっちゃ早いで!優勝やで!」
とブラフをかけていたのを覚えています。当然まだ身体も小さい初心者がそんなことを言うものですから、振り返ると恥ずかしいいような誇らしいような複雑な気持ちです。
そのマインドは変わることなく、とにかくがむしゃらに毎日トレーニングに励み試合で結果を残すことに尽力していました。高校生になる頃には兄の背丈を超え、3年生の時に全国ジュニアオリンピックで優勝することが出来ました。
”身体が小さかった頃の自分がきかせていたブラフにようやく結果と身体が追いついた”
とその時は思っていました。
大きな転機となったのは、中京大学に入学してからです。生まれてはじめて親元を離れての一人暮らし。食事をはじめ日々の生活面でも自身で管理しないとならず、実家から母親に作ってもらったご飯を送ってもらったり、レシピを聞いたりして”自炊”という水泳以外のことと格闘していました。
競技の面においても、全国から自分と同じような負けん気も実力も備わった強豪選手が集められ入学しているので、高校生の頃とは比較にならないほどレベルの高いパフォーマンスが必要になりました。
「今のままのやり方では勝ち残っていけない。」
15年以上継続してきた自身の水泳への取り組み方を変えなければならない、と気付くのにそう時間はかかりませんでした。恐れはなかったか?といわれれば嘘になりますが、それよりも成長できないまま自分自身に負けてしまう気がしてその方が怖かったのです。
コーチ指導のもと、アスリートとしての自分を一から見直すことを決心しました。
泳ぎ込む距離は勿論のこと、自ら水泳以外の競技の指導をしているコーチや選手にアドバイスを仰ぎ、スイマーとして自身のレベルアップにつなげることはできないか?と試行錯誤しました。
かの有名な室伏広治氏が中京大学に教授として在籍していらっしゃたので、直接アドバイスを伺い、川に落ちてある巨大な岩を持ち上げる、といったトレーニングもしました。思いつくことは出来る限り全て取り組みました。
そして4回生。インカレ最後の年。晴れて優勝することが出来ました。新たなアスリートとしての自分で優勝することができたこの経験は、僕にとって非常に大きなものとなりましたし、自分自身に勝つことが出来た本当の意味での優勝を得た気がしました。
現在、僕はアスリートとして企業に属す傍ら、パーソナルトレーナーとして幼い子供からパラリンピックに出場するアスリートまで様々な方の指導育成にチャレンジしています。自身が経験した様々なトレーニング方法や指導を通じて、指導を受けに来られる方の泳ぎのレベルを上げるだけではなく、泳げなかった子に泳ぐ楽しみを伝えたり、身体が不自由な方のケアに携わったりなど、これまでと違った視点で水泳に携わっています。
水泳という競技を通して泳ぎのスキルはもちろん
・継続すること大切さ
・諦めない信念
・新しいことへチャレンジする士気を常に持つ
ということが今の僕の人生と仕事の支えになっています。
チャレンジして結果を残すことがプロの仕事。ただし結果のみに拘るのではなくそれまでのプロセスですら学び得ることができるものは全て自身の財産にする、
それが一流のプロだと考えています。